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【あらすじ】NHKスペシャル(2005年9月放送のアンコール選)。千葉県松戸市常盤平団地。全国のニュータウンに先駆けて入居を開始した団地は当時「夢の住まい」だった。そして今、住民の高齢化と単身入居が認められ、独り身の男性が多く住むようになった。
孤独死。常盤平団地で見られるようになった現象。そのほとんどは独身男性で、半数は40代から60代前半の中年。なぜ彼らは誰にも看取られずに亡くなり、誰にも発見されずに死臭を放つまでに至るのか。
古くからの住民:坂井さん、大島さんらは「孤独死予防センター」を設け、独身男性からの相談を受ける。訪れる男性は社会的疎外感、倦怠感、絶望感を打ち明ける。坂井さんらはなるべくこうした男性宅を訪問するようにする。ゴミを捨てられずテレビを見るだけの人。大島さんの掃除の様子を呆然と眺める。
脳梗塞で倒れ、入院中に離婚され、後遺症が残ったため再就職できない佐藤さん。だが診断書では軽めに書かれて傷害年金も受け取れない。国民年金受給まで7年、預貯金はあと1年。一時は自殺も図ったが、坂井さんらの交流もあって、もう一度自動車教習所に通い、再就職への道を歩み出す。
【感想】○
孤独死の実態把握のため、常盤平団地での「孤独死予防センター」の活動を追ったドキュメンタリー。孤独死という言葉から受けていたイメージとは異なる事例であると同時に、一人一人の死が社会的問題と繋がり、団地という集合形態によって社会的縮図となっていた。
孤独死といえば、配偶者に先立たれた高齢者が自宅で病死する…とのイメージを持っていたが、この常盤平団地では中年の独身男性が半数を占めている。また、孤独死の「死」の部分の問題よりも「孤独」の方が問題なのではないかと思えた。
仕事一筋で生きてきた男性の誰にも起こり得る事故や病気。まだ働ける年齢でありながら職を奪われる。そして預貯金はその治療で使ってしまう。その過程で、ケースバイケースになるものの離婚されたり親離れで家族と疎遠になる。
だが、国民年金の受給開始年齢には間があり、何の社会的保障も受けられない。佐藤さんの例から、日本の社会保障の穴・欠陥が浮き彫りになっている。
不景気で再就職もままならず、男性のコミュニティ参加意識の低さから、地域社会にも馴染めない。さらに住居は壁とドアに囲まれた団地。独りで暮らす中年男性は社会との繋がりを失い、生きる気力を失っていく。ゴミを捨てられない男性の例は、決して怠けているわけではない。
もう一つ、団地という形態の功罪について。45年前、夢の住まいとして若夫婦が一挙に住み始めたニュータウンでは、こんな先の事まで想定していなかったと思える。地域のコミュニティ機能などより、とにかく首都圏への住居の安定・大量供給が優先していたのだから。
団地という隣近所の生成しにくい構造や、個人の自由意識の拡大による他人への不干渉が地域の繋がりを無くした。しかし、だから団地はいけないとも言えない。むしろこの番組を見ると、団地は生存装置として機能しているようにも思える。
築年数が経ち、家賃が安く、独り暮らしするにはちょうど良い広さの団地。独身の中年男性が多く移り住んでくるにはこうした理由があり、そこで生まれる現象として孤独死が存在する。団地に孤独死の全ての因果関係を求めるのは間違い。団地はコミュニティ生成の難しい形態であるとしか言えず、その面での原因しかないだろう。
よって「孤独死予防センター」の活動は極めて正しいと言える。話を聞き、男性宅を訪問しコミュニケーションをとる。金銭的援助は本人と社会全体が解決すべき問題。孤独死が発生して、センターの人々が葬式を挙げるシーンも流れたが、それは人としての当然の行為であり、センターの活動には入らない。
坂井さんの「孤独死をなんとか防ぎたい」とのセリフは、センターとしてのやるべき活動を最大限にやった上で、それでも防げない現実に対する切実な願いに聞こえた。社会保障の欠陥や男性の資質、仕事人間の量産、そこへの価値しか認めなかった日本社会といった事は、坂井さんには分かっているのだと思う。それでも自分に出来る事としてセンターの活動をしていくのだ。
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