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【あらすじ】NHKスペシャル。太平洋戦争最大の激戦地:硫黄島。1945年2月16日、2万1千人の日本軍守備隊に対し、制空権・制海権を握った米軍は空爆・艦砲射撃の後に上陸。だが、5日で占領できると踏んだ米海兵隊は地獄を見る。硫黄島は全島が地下要塞化しており、地下壕からの日本軍の反撃で米軍は死傷者2万8千人。
ピーター・ベナーベッジ:彼らは万歳突撃をしない。戦いは長引いた。
アル・ペリー:朝になると海兵隊の死体だらけ。あちらの穴かと思えばこちらの穴から撃って来る。
金井啓:生き埋めにされ、部下が手榴弾自決。その爆風で壕が崩れ捕虜に。部下の死と引き換えに命を繋いだ。
大越晴則:サイパン・グアムは陣地がやられたら後方陣地で戦えたが、硫黄島は自分の陣地死守を厳命されていた。
大曲覚:玉名山陣地指揮官から摺鉢山奪還を命じられる。死守はどこへ行った。死体が弾よけになる。戦死してもまた戦争をしなきゃいけないのか。
1ヶ月後の3月17日、指揮官:栗林忠道中将の戦死により日本軍の組織的戦闘は終結。しかし玉砕後の硫黄島では、日本軍に週100人以上の戦死者が出ている。ゲリラ戦に移った日本兵。彼らは何故戦い続けたのか。玉砕の美名に隠された戦場の真実を生還者の証言から探る。
秋草鶴次:南方諸島航空隊本部壕にて日本人同士の残酷な戦いを経験。食料尽き、死体を焼いた跡の炭を食べた。「人間の耐久試験だ」
竹内昭:人が死んでも可哀相ではなく、物を持ってないかと思った。
投降しようと壕を出た兵を上官が撃ち殺した。投降した兵は国賊。戸籍謄本にそう記載される。投降を呼びかけても戦いを止めない日本兵に対し、米軍は火炎放射器で壕を焼き、発煙弾で燻り出し、壕に海水を流し込む。その表面には油。引火し壕内は地獄絵図に。
意識朦朧の状態で捕虜になった日本兵約1千人。壕内に入った米兵はその惨状に息を呑んだ。61年後の今も、硫黄島には1万の遺骨が収拾されず残っている。
【感想】◇
番組前半は、これまで知られていた硫黄島の戦いをなぞっており、日本軍の頑強な抵抗の理由と、多大な損害を出してでも硫黄島占領を為さねばならなかった米軍の事情を理解していれば、記録として残す価値のあるものだった。この「理由と事情」が説明不足で、視聴者の理解が前提とされている点はやや疑問。
後半がこの番組の真骨頂で、玉砕後の戦いがあった事の発見、そこで起きた悲劇を兵士の証言から明らかにする。ここでも重要になるのが前半で説明不足だった「理由と事情」であり、「理由と事情」がなくなってからも戦い続けた兵の意義を問う折角の番組の主張も、説明不足ではどれほど視聴者に理解されたのかかなり疑問。知ってる人には解る、知らない人にはあぁ悲劇だなで終わってしまったのでは。
1944年7月のサイパン陥落で飛行場を手にした米軍は、秋よりB29で本土空襲を開始。しかし日本本土に到達できるのは爆撃機のB29だけで、戦闘機の護衛なしだった。よって日本軍戦闘機の上がってこれない高度1万メートルからの高々度爆撃に頼らざるをえなかった。
これに対し日本軍は、戦闘機を改修し、対B29専用仕様の大口径機関砲を搭載した大型戦闘機で迎え撃つ。米軍は精密爆撃で飛行機工場を第一目標とし、日本軍戦闘機根絶を目論んだが上手く行かず。1945年に入ってもまだ日本軍戦闘機が迎撃して来るのは、米軍にとってこれまでの爆弾投下量から考えても驚異的だった。
そこで、サイパンと日本本土の中間にある硫黄島飛行場が重要視される。ここを占領すれば米戦闘機をB29の護衛として付けられる。また、空爆時に損傷したB29の緊急着陸地点にもなる。これが日本軍が硫黄島を死守しなければならなかった理由であり、米軍が硫黄島を何としても占領しなければならなかった事情。
付け加えると、硫黄島の対空レーダーの存在、硫黄島から出撃した日本軍攻撃機がサイパンを空爆し、50機以上のB29を焼き払っていた事、硫黄島からの迎撃機が30機近くのB29を撃墜破していた事も影響している。日本軍反撃拠点の硫黄島は米軍にとって目の上のごぶだった。
だからこそ硫黄島は簡単に玉砕してしまうバンザイ突撃をせず、一日でも長く戦闘を続け、本土空襲への戦力を削ぐ事が最重視された持久戦となった。米軍にとっては硫黄島を占領しない限り、日本への決定打を打ち込めないため、損害度外視の作戦続行となった。
その結果が、援軍も絶たれ飲食料にも欠きながらの日本軍の頑強な抵抗となり、上陸軍の死傷者が守備隊死傷者数を上回るという、米海兵隊始まって以来の不名誉となった。
そして硫黄島の玉砕後、4月から稼動したP51戦闘機によって日本本土防空隊は壊滅的打撃を被り、残存機は本土決戦へと温存され、本土上空を米軍機が悠々と飛行するようになる。米戦闘機の機銃掃射に遭ったという人は、硫黄島陥落によるものである可能性が高い。あとは沖縄陥落で機動部隊が駐留し、その空母艦載機からの機銃掃射という可能性もあるが。
さて番組後半で重要になるのは、以上の「理由と事情」が無くなってもなお、戦い続けた点にある。指揮官も戦死し、玉砕が報じられ、飛行場も稼動し、それに損害を与える事も叶わぬほど追い詰められた日本兵。投降を呼びかけられても応じない。
米兵は飛行場を廻っての戦いは決したのに、戦い続ける日本兵を馬鹿げていると思うようになる。日本兵自身も何のために戦っているのか分からなくなって来る。玉名山陣地指揮官による摺鉢山奪還命令は、万歳突撃禁止に反しないギリギリの温情ともいえる。地下壕の兵に竹槍と手榴弾を与えて出て行けとの命令も、投降兵の射殺も、国賊にしないための名誉を残したものともいえる。もちろん、無謀な攻撃命令は責任放棄であり、出て行けとは食料維持のための単なる人減らしである。
飢えと渇き、軍の呪縛で正常な判断ができなくなっていく兵達。壕内では人間性・理性のない常軌を逸した光景が繰り広げられる。玉砕後の戦いの意味は何だったのか。当事者は今でも分からず、悩み続けている。何も無いでは死ぬに死ねない。せめて語り残しておきたいと。
執筆者の貧弱な理解を書けば、この間の戦いは、大日本帝国における人の生き方が試され、限界を露呈し、その限界を超えたものだったと思う。敵軍の誰もが思った「馬鹿げている」も、当事者自身が後から振り返っても意義を見出せない戦いは、大日本帝国の描いた生き方・死に方が、所詮は作り物に過ぎなかったという事だろう。それを如実に表わしたものが硫黄島玉砕後であり、ここに語り継ぐ意義がある。
生きて虜囚の辱めを受けず。降伏なき軍隊に残された最後の名誉が万歳突撃。全員突撃で玉砕の美名を得る。負傷者は自決して名誉を守る。だが硫黄島ではこの万歳突撃も禁じられた。持久戦による戦死しか有り得ない。それでいて兵には持久するための食料も与えられなかった。これらの矛盾が壕内での理性崩壊へと繋がる。
この大日本帝国特有のロジックが分からない米兵は、日本兵の行動が全く理解できない。大日本帝国が無理に無理を重ねて作り出した生き方・死に方など分からなくて当然である。所詮は国家が国民を考えずに作り上げた狂信的思想なのだから。それを守らされた国民は、守れない状況が発生しても「非国民」の一言で片づけられてきたのだ。
だがそれで片づけられない事態が戦場では起こる。玉砕後の兵達は大日本帝国の思想・教育システムでは想定されていなかった事態に直面した。今もその意義を見出せないのは、幼児期からの大日本帝国の思想・教育システムの刷り込みと、何もかも自由になって指針の無くなった戦後システムのどちらも、その答えを提示してくれないからだろう。
参照記事:そして日本は焦土となった
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散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道
名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録
十七歳の硫黄島(インタビューで登場した秋草鶴次著)
硫黄島戦記―玉砕の島から生還した一兵士の回想
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