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【あらすじ】6世紀初め、ヤマト政権では天皇の力が衰え、地方豪族の争いが絶えなかった。506年に武烈天皇が崩御すると皇位継承を巡って混乱が増し、大伴金村と物部麁鹿火(あらかひ)は大陸・半島交易が盛んな越前で、鉄剣を作る近江とも縁のある、応神天皇の子孫:男大迹王(をほどおう)を後継に推す。
豪族の意見が一致するまで即位を渋った男大迹王は、継体天皇となった後も大和に入らず淀川流域を拠点に港や水運の整備をし、513年に百済の使節:五経博士から国造りの方式を教わる。526年に大和盆地に入った継体天皇だったが、新羅が加耶に攻め入ったと聞き6万の援軍を派遣。
軍勢が九州に差し掛かった時、筑紫君磐井が豊・火の国と共に反乱を起こし船舶の進行を妨害。磐井は新羅から賄賂を受け取り、独立国を掲げて磐井の乱を起こしたのだった。継体天皇は物部麁鹿火を総大将に据えて約一年後の528年11月にこれを平定。
継体天皇は五経博士から学んだ、豪族からヤマト政権に土地を献上させ直轄地とする屯倉(みやけ)の制度を九州に導入。やがて全国各地の屯倉に官僚を派遣し情勢収集を行わせ、国家の足がかりを築いた。
【感想】◇
地方出身の豪族から天皇になった人物が、地方豪族:磐井の乱を平定し、統一国家の礎を築いたその時。中国・朝鮮半島との交易を積極的に進めた地方豪族の継体天皇が、その半島情勢の変化をきっかけにした地方豪族の反乱を平定し、中国から学んだ方法を参考に倭国を統治していく辺りが妙味か。
流れとしては分かりやすいが、ヤマト政権については謎の部分も多いので、判明している部分からストーリー仕立てしやすい歴史になっている可能性もある…と心に留め置いておきたい。鎮圧された磐井の側にめぼしい資料がないのだから。
男大迹王のいた越前で交易が盛んだった事、鉄剣の生産地:近江も勢力下にあった事が、後々の政権運営に役立っている。港整備で百済との関係を強化し、統治方式を知る五経博士も招く。一方、磐井の乱の平定には鉄剣が武器として有効だったのだろう。
新興国:新羅が百済・加耶(任那)を倒すため、同じく新国を望む磐井と組んだのも分かりやすい。その戦略を上回るほどの増援軍を継体天皇の20年間でヤマト政権が整えており、技術の高い鉄剣生産も盛んだったという事か。
唐の統治方法を参考に国内統治も確立したヤマト政権だったが、その間に新羅は唐と結んで加耶・百済を滅ぼしていくという所も、歴史の皮肉。
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