テレビ批評的視聴記 - 2007/11/04

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2007年11月04日(Sun)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:石見銀山

【あらすじ】毛利元就は安芸の一領主だったが、石見銀山を得るため尼子氏に8度の攻撃を仕掛け、永禄5(1562)年に奪取。石見銀山は世界の銀産出の3分の1を誇り、地図でヨーロッパにも紹介されるほど知られていた。毛利は南蛮貿易によって銀と火薬の原料:硝石を交換。鉄砲の量産によって永禄9(1566)年に中国地方を制圧。

元就が死去し孫:輝元の代となった頃、織田信長が中国地方に攻め入るが本能寺の変で倒れる。代わって羽柴秀吉が石見銀山の引渡しを要求。しかし、石見銀山は朝廷の御料所であり、毛利がその代官職にあるとして、輝元は石見周辺の新銀山を秀吉に差し出して臣下となった。

文禄元(1592)の文禄の役で毛利は3万の兵と銀の供出が求められ、加工した丁銀5千枚を献上。慶長3(1598)に秀吉が死去すると、朝鮮に兵を出さなかった徳川家康が天下取りに動き出す。石見銀山で余力のあった輝元は石田三成から西軍の総大将に祭り上げられ、慶長5(1600)に大量の銀を軍資金として、全国の大名に味方に付くよう呼びかけた。

だが、9月15日の関ヶ原の戦いで西軍は敗れ、大坂城に家康が迫る。25日、輝元は石見銀山を家康に譲渡。毛利氏は周防と長門の大名として存続し、幕末の長州藩となって徳川幕府を倒した。

【感想】△
毛利氏と、信長・秀吉・家康の戦いを石見銀山を巡る攻防という視点から描いた話。今回のタイトル「銀を制する者は天下を制す」という事で、石見銀山の力で勢力拡大した毛利元就から、何とか奪おうとした信長・秀吉・家康。石見銀山を差し出す事で生き残った毛利輝元という流れ。

結局、銀を制しても天下を制していないじゃないか、という気もしないでもない。銀によって得られる交易品に力があり、それを軍事力に利用した毛利元就の成功を知って、各武将がこぞって石見銀山を手に入れようと毛利氏と戦った(面がある)。

しかし、石見銀山を手に入れた元就は、急速に中国地方を制圧したために、内政・経済に歪みを出した所で死去。輝元はその統治問題を抱えたまま信長と戦い、秀吉と共存、西軍総大将になり銀を軍資金として家康と戦ったが敗れている。

信長は銀を持つ毛利でなく明智光秀によって倒されたし、秀吉は銀を献上させて朝鮮に出向くが敗色の中で死去。家康も石見銀山を手に入れる前の関ヶ原でほぼ天下を手中に入れた。逆に、石見銀山を手に入れても15年後の大坂夏の陣まで天下を取れていない。

銀というお宝に惑わされ、力の幻を信じた武将達の哀れさをも感じてしまう。もしくは、石見銀山はさほど重要ではなく、それ以外の要因によって天下の形勢は動いたのだとも。

輝元が家康に石見銀山を差し出した時が「その時」だったが、この肝心の部分で疑問が残る。家康が大坂城の輝元に石見銀山を要求した証拠はなく学者の推測であった所、また、秀吉に対して要求を拒否した「朝廷の御料所」という理屈が、家康との攻防の中でどうなったのかが番組では説明されていない。

家康からの要求もなく譲渡したから、その温情として毛利家が存続した、と全く逆にも推測できてしまう。ともかく毛利が生き残って幕末には長州藩として倒幕し、石見銀山を再度手にするわけだが、その頃には当に石見の銀は枯渇している。

家康が金と銀で統一通貨を作って全国規模の経済圏を形成させたと説明があったが、幕末には、石見以外で採れた銀の価値が世界基準でどれほどか分からない幕府は、欧米に騙されてひどい比率で銀兌換され、徳川財宝なんかスッカラカンになっている。銀を制していても使う人次第か。
参考記事:その時歴史が動いた:村上水軍黒田如水
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