| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【あらすじ】深沢晟雄(ふかさわまさお)は実業家だったが、終戦で故郷の岩手県西和賀町沢内(旧沢内村)へ引き揚げ。そこは戦前と同じで貧しく、病気になってもただ死んでいくしかない悲惨な村だった。沢内では昭和31(1956)年に158人が生まれたが、11人が1歳未満で死ぬ乳児死亡率69.6。東京の25.7と比べ全国最悪とも言える高さだった。
昭和32(1957)年に村長となった深沢は、雪で病院にも行けない状況を改善する除雪ブルドーザーを得ようと奔走。深沢の熱意を聞いた建設会社から1台貸与される。また、定期的な乳児検診を始め、村に虚弱児・くる病が蔓延している事を掴む。しかし村で唯一の病院:沢内病院には耳が遠かったり暴力的だったり麻薬中毒な医師がいた。深沢は東北大に9ヶ月も通い詰め、医師の派遣を取り付けた。
保健婦が正しい育児法を教えていたが、沢内の子供の教育の権限は姑にあった。そこで部下のアイデア「おばあちゃん努力賞」を設け、虚弱児を立派に育てた姑を表彰した。これらにより昭和34(1959)年には乳児死亡率26.3へ改善。さらに保健婦を病院に常駐させ、医療費無料化も決断した深沢。
だが、国民健康保険法には国民負担2分の1が明記されており、県や議会から村の全額負担は法律違反だと追及された。深沢は健康で文化的な生活を定めた憲法25条が優先するとして、昭和36(1961)年に無料化を導入。昭和38(1963)年1月1日に昭和37年の乳児死亡率ゼロを全国初で達成した。
【感想】◇
1歳までの1000人中で換算する乳児死亡率で、全国最悪の岩手県平均よりさらに高い死亡率だった沢内村。そこへ保健・医療・福祉の一体化を進めた村長の深沢晟雄によって、全国初の乳児死亡率ゼロを達成したその時。地道な現実策、村内の意識改革、法律より優先すべき理念があるとの覚悟で様々な壁を乗り越え、赤ちゃんを一人も死なせない所まで到達した話。
全く知られていない人物で、歴史的にも乳児死亡率というマイナーな分野を取り上げたが、番組の構成はしっかり組み立てられていて、深沢の努力と死亡率の数値が結果として交互に示されていく展開。流れが良くて飽きさせずに見せてくれる。
ただ、沢内村の乳児死亡率は、深沢のスタート時点では東京などとの比較データを載せていたのに、途中から比較がなくなり沢内村だけのデータになったのは不親切。さらに、沢内村が乳児死亡率ゼロを達成して「沢内もうで」と呼ばれる全国からの視察が相次ぎ、乳児死亡率減少の流れが出来たかのように語られていた。
しかし、昭和40年までの乳児死亡率は全国的に劇的な減少傾向にあった。昭和5年で約120、昭和15年が90、昭和25年が約60、昭和35年が約30である。つまり10年で30ずつ減るペース。深沢の尽力はその中の1ケースとも言える。
それでも、深沢の沢内村が昭和31年に69.6(全国平均40.7)だったのを昭和38年にはゼロ(全国平均約20)にしたのは、全国のペースを上回る改善であり、この差異で功績を評価しなければいけない。
強く認識すべきだと最近思うのは、戦前の日本は本当に貧しくて、人がバタバタと死んでいた事。だからとにかくたくさん生まないと農村はやっていけず、その時歴史が動いた:受胎期発見で見たように、妊娠しない女に価値は置かれず、逆に多産で女性が弱まって死ぬなど、死が当たり前のようにあった。
沢内村の因習や価値観などを見ても、赤子は泣き叫んでも放っておけば育つから平気というのは、そんな環境でも育つ強い遺伝子を持ってないと、将来の労働力にならないという考えだったのかもしれない。現にそうして育った男子が戦時下では兵隊になり、東北の兵団は最も強かったと伝えられているし。
子育ての権限が姑にあったというのも、番組内でちらっと説明があったが、嫁は妊娠末期まで畑仕事をして(させられて)いたからで、体力の弱まった姑が家で子供の面倒を見るのが合理的だったから。昔が舞台のドラマなどで嫁が畑で産気づいて旦那が大慌てするシーンがあるが、あれはコメディ調を採っていても実はあまり笑えない(笑ってはいけない)場面だったりする。
村では「かまど返し」と言って、病院通いは財産を失うとの考えが根強かったらしい。これも沢内病院にいた品行方正でない問題医師の多さから得た教訓だったのかも。田舎の村に行く医師など出世コースから外れた者と決まっていて、だから東北大も派遣を渋った。
これらを深沢が一つ一つ解決していく。医療の改善にまずは除雪ブルドーザーという、一見奇策に見えて最も地に足のついた改善策。表彰という金の掛からない手段でありながら、お上のありがたみを最大限に生かした作戦で意識改革。かと思えば法律より理念を優先するとの高い志を掲げたり。もちろんそこに、沢内村だけでない全国的な乳児死亡率改善の動きも合わさる。
保健婦(行政)を病院に常駐、医療費無料化などは、なりふり構わぬ行政手段にも見えるが、生まれた命を守りぬくのが政治の一番の中心と言われると、その当然さに誰も反対できない。
前回記事
←Top
「あきらめ」を「希望」に変えた男―沢内村長・深沢晟雄の生涯
自分たちで生命を守った村
野の花―岩手の母子保健に生きた人々
もう一度抱きしめたい―赤ちゃんの死を乗り越えるために
NHKその時歴史が動いた サウンドトラック
その時歴史が動いたDVD
その時歴史が動いた(NHK本)
by Amazon