テレビ批評的視聴記 - 2007/09/13

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2007年09月13日(Thu)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:フィリピン独立

【あらすじ】アメリカは1898年、アジア侵入の戦略上の重要拠点としてフィリピンに浸出。宗主国として土地所有権を登録させるが、米に協力的な地主だけが登録し、民衆は小作農として土地を奪われた。貧困層となった民衆はサクダル党を中心に蜂起するが鎮圧された。

そこへ大東亜共栄圏を掲げた日本が太平洋戦争によってフィリピンを占領。日本は日本文化の浸透を図るが、60万の軍隊を駐留させ、その食料を現地調達したためにフィリピンは食糧難に陥る。乱暴な日本兵の態度もあって抗日ゲリラが組織され治安悪化。懐柔策として1943年10月14日にフィリピン共和国として独立させたが改善しなかった。

そこで4000〜5000人のマカピリ(フィリピン愛国同志会)を組織した日本軍。1944年10月にレイテ島に上陸した米軍や1945年2月のマニラ攻防戦において、マカピリを抗日ゲリラと戦わせ、マカピリからの密告に基づいて住民虐殺を行った。敗戦後、マカピリに所属していたフィリピン人はリンチに遭い、その死傷者数も判明していない。

1946年7月4日に独立したフィリピン。しかし軍事・政治経済でアメリカ依存が続き、真の独立を果たしたのは、ベトナム反戦からマルコス独裁政権を倒し、1991年に米軍基地撤退を決議した時といわれる。

【感想】○
スペイン、アメリカ、日本、アメリカと占領者が入れ替わったフィリピン。ラグナ湖のカブヤオ村では住民がマカピリと抗日ゲリラに分かれて戦い、隣村では虐殺も起き、戦後は集団リンチも発生した。その村人の姿からフィリピン独立への血にまみれた苦難の道を描く回。

強国に占領された国・地域では、往々にして今回のような占領者への協力と抵抗が起こる。ナチスドイツに占領されたフランスは抵抗(レジスタンス)運動のパルチザンが有名だが、協力者も多数おり、パリ解放後に男は住民によって銃殺、女は丸刈りにされたり服を剥ぎ取られたりした。フィリピンだけが特殊事例ではない。

そして協力者と抵抗者が同じ国・同じ民族同士で戦う事もある。小さい所ではマフィアなんかがよく使う手だし、架空世界ではSFでも、宇宙人に占領された地球で、宇宙人に協力する事で生き残った人類と抵抗者が戦う小説もある。

…と、相対的に見て来た所で、今回の証言や映像は絶対的に悲惨なものがあった。アメリカは占領・統治に協力的だった地主と結託し、民衆を小作農として支配した。これに抵抗したろくな武器も持たないサクダル党を武力鎮圧。戦後も米軍に協力的だった独裁政権を支援し続けた。

日本占領下では自由と民主主義を旗印に抗日ゲリラに武器や食料を与えて戦わせ、戦後はその功績として年金を支給している。

一方の日本は、アジア解放・大東亜共栄圏を掲げて占領。一律に日本語教育をさせて文化から変えようとした。さらに名目だけ独立させ、その独立が米軍上陸で危ういとしてマカピリを組織し抗日ゲリラと戦わせた。負けたために戦後は日本に協力したマカピリに何の補償もしていない。

マカピリも抗日ゲリラも、根底では自国への愛国心と独立心がありながら、激しい対立と何十年も消えない禍根を残している。彼らの運命は入れ替わり立ち替わりだった占領者に大きく左右されている。占領者はフィリピン人を利用するだけ利用した。

日本のフィリピン占領のつまづきは、食料の現地調達から来た食糧難だったようだが、これは植民地政策よりも、当時の日本が貧しい国だった事の方が大きい。大東亜共栄圏は大義名分にすぎないが、南方の資源(食料も含めて)を求めて開戦に踏み切ったほどだったのだから。もちろん、軍事に傾倒して貧しかった面もある。

戦後裁かれた「バターン死の行進」も、十分な食料を与えずに捕虜を歩かせたのが非人道的とされているが、歩かせた日本兵にも十分な食料はなく、輸送トラックを使えるほどの燃料も無かったのが実状。これが非人道的か否かといえば当然、非人道的ではある。

金持ちの地主を優遇した戦前のアメリカ、貧しい上に戦局悪化で弱い者弱い者へと矛先を向けてしまった日本、米軍に協力的な政権を強力に支援した戦後のアメリカ。どれもフィリピンの一般民衆のための占領・統治を行っていない。

でも(というか、だから)フィリピンはピープルパワーやクーデターで国を変えて来た。米軍基地撤廃も実現させている。これを見習って日本も撤廃できるという見方がある一方、より一層、沖縄の重要性が高まって撤廃が困難になったとの見方もある。で、今回も明確な結論は出せず…。
前回記事:沖縄返還
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フィリピン独立問題史(今回の解説:中野聡 著)
近現代日本・フィリピン関係史
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ワラン・ヒヤ―日本軍によるフィリピン住民虐殺の記録
東南アジア史のなかの日本占領

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