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【あらすじ】「実は先生も学生時代に同人誌をやっていたんですよ」
同人誌を描いている藤吉晴美(ふじよし はるみ)は糸色望先生を即売会に連れ出す。しかし『石ころ』は全く売れず、糸色は「るろ剣」、常月まといは「ざくろ大戦」コスプレ姿だと騒がれ写真撮られまくる。風浦可符香は傷付いた糸色の心の隙間に入り込んで一冊買おうとする。常月は隙間も含めて全部買うと申し出る。
ヤマなし・オチなし・意味なしの同人誌に木津千里は怒り、起承転結の4コマ漫画を描いてマンガ甲子園を目指そうと藤吉にはっぱをかける。しかし絶望先生は禁断の5コマ目「闇」があると指摘。男性同性愛の痔、打上げ花火デートと別離、パンチラと金銭要求、別れてからの無言電話などなど。
夏祭り。御輿で盛り上がる生徒に絶望先生は言い放つ。
「業界の魑魅魍魎どもが、御輿を担いで祭り上げようと狙っているのです!」
大した事ないのに祭り上げられる美人御輿、微妙な芸人まで祭り上げる。他にもカリスマ御輿、王子御輿、珍獣御輿、死ぬだけ小説御輿など。
担ぎ手たちは天才少年、大家族、リフォーム、健康、やせる、サラサラ、ストーカー、ひきこもりなど次々と担ぎ始める。
「我々が担いで踊らない国民はいない。一般人は大人しく踊らされていればいい」
修正ネットアイドル、真ん中分け、遂には普通少女:日塔奈美(ひとう なみ)まで普通御輿に担がれる。
「絶望した。何でも担ぐ大メディアに絶望した!」
【感想】◇
前半は、ヤオイ・18禁・パロディの同人誌と、小説や批評の同人誌を混同した絶望先生、後半は、祭りの御輿を担ぐ様子から大メディアによる祭り上げと、踊らされる人々の哀れさを描いた回。この番組の底流にある社会風刺精神からのメディア批判を正面切って取り上げた。
文学界の盛り上がりに「感激」する糸色だったが、晴海・有明の同人誌は違う物だった。そんな埋め難い隙間を感じて心に傷を負った糸色は、心の「間隙」を縫った優しさの風浦に抱き着いて泣く。
心の隙間に入り込む風浦と、隙間も買うと言う常月の、どちらも隙間を埋めてはくれない。隙間で分かれている方が良いとする木津はコマ分かれの起承転結4コマに価値を見出すが、現実には禁断の5コマ目があると言われる。
めでたし目出度しで終わるフィクションを現実に持ち込むと、病気・別離・金・犯罪などロクな事にならない。そこを描けない同人誌へのアンチテーゼが含まれているが、だからフィクションとして成立もしている。
5コマ目を忘れさせる4コマの物語としての上手さ、さらにコマ区切りもヤマもオチも意味もない物にはまる藤吉などの人々。心の隙間を埋める同人誌の存在と、その同好が結集する有明のイベント性、そこではさらにジャンルの中の多様な趣向が分散し、各人の隙間を埋めるかもしれない物が販売されているループ。
対して、後半の大メディアの担ぎ・祭り上げは、個人ではなく大衆の趣向を操作しようという動きが描かれる。同人誌は個人の物を同好の士だけに流通させる動きでもあるが、大メディアの担ぎ・祭り上げは、本来は何でもない個人を取り上げ、何の興味もなかった大衆の興味を喚起させ、商品を購入させるもの。
この大メディアの動向については、誰かが意図的に操作しシナリオもある、この祭り上げの間に本当に重要な事を通してしまおう、もしくは重要な事を隠すために使われる、躍らせやすい人々の形成が練習台となって有事に使いやすい…等々の裏があるとの主張もよく言われる。
大メディアといっても近年はテレビの影響が大きく、御輿に出てきたのも殆どはテレビによってブームになったもの。しかし弾丸効果のように上手くは行かない。テレビでもブームにならないものは数多くあり、何がブームになるか分からない面がある中で、日々テレビ放送は流れている。
メディアの議題設定機能は確かに存在するが、そこからの判断の初期段階は受け手(視聴者)にある。それをさらに送り手が察知し繰り返して取り上げ、重要だと思わせる訴求効果が出る。メディアが再構築した現実(擬似環境)に対して、視聴者は擬似イベント性を感じ、社会的繋がりを求める人間の本質と群集心理によって踊り出す。
これはテレビに接している人ほど踊りやすいという培養効果があり、社会的繋がりを求める心理の裏側としては、踊らない人が反対意見を述べなくなる沈黙の螺旋によって主流形成がなされ、ブームは送り手と受け手で共鳴現象・増幅効果を起こしながら過熱する。
これらの現象は果たして情報操作やプロパガンダと結び付けられるのか。ナチスや戦前日本の時代の空気にまで当てはめられるのか。一過性のブームとは違うという見解や、メディアの受容効果は調査して見ると大した事はない、受容以前にその人の育った環境属性の方が、個人の意見表明については大きいとする論もある。
だが、その環境属性そのものが、生まれながらにテレビがあった世代が占めてきている現在では、テレビの画一性を生み出す効果によって、踊りやすい人々を生み出している、ともいえる。
多様化した現代と言われるが、多様な情報を処理し切れない人々、多様で曖昧な状態に置かれた人々は、画一的なテレビに身を委ねて安心し心の隙間を埋め、ブームのテレビ番組をしっかり見ていないにも関らず、何となくブームに流され・乗っかり、商品まで購入してしまうメディアシステム依存まで見受けられる。
…何でこんな話に飛んだのか分からないが(削除するかも)、良いと思った感情をなぜ良いと思ったか考え、それで分かった理由と天秤にかけても尚、欲しいと思える商品を買うなり、流行に乗って見るなり、他人の言う事をきけば良いのではと。
でもそれは面倒くさい。何も考えない方が楽に決まってる。その単純な考えを覆すメディアリテラシー理論が登場しないから、踊る人々が絶えないのだけど。そんな現状を分析する上記のようなマス・コミュニケーション理論の力も今の所はそんなもんです。
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