テレビ批評的視聴記 - 2007/08/05

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2007年08月05日(Sun)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:沖縄返還

【あらすじ】昭和20(1945)年の沖縄戦で米軍に占領された沖縄。住民は収容所に入れられ、米軍は本土攻略用の基地建設を進めた。田井良収容所の交渉役:瀬長亀次郎は配給増を申し出るが却下される。戦後も日本本土が連合国統治だったのに対し、沖縄は昭和21年に沖縄民政府が発足するも実質は米軍統治が続いた。

米兵の婦女暴行が4年間で194件に上り、瀬長は人権向上を求めて活動開始。日本本土と共に独立する夢を語るが、1951年のサンフランシスコ講和会議で沖縄はアメリカの施政下に置かれた(参考:その時歴史が動いた:サンフランシスコ講和条約)。アメリカは沖縄を反共の要と位置付け、基地拡張に乗り出し、小額借地料での土地の強制収用を行った。さらに土地の無期限使用に繋がる借地料一括払いの方針を打ち出す。

立法院議員(県議)となった瀬長は一括払い反対・適正補償・損害賠償・新規収用反対の四原則を掲げるが、逮捕され1年半の投獄生活を送る。昭和30(1955)年に6歳の由美子ちゃんが米兵に誘拐・暴行・惨殺された事件を契機に住民の反対運動が起こり、出所した瀬長も集会に参加、「島ぐるみ闘争」へと発展する。

那覇市長となった瀬長は祖国復帰を訴えるが、アメリカから睨まれ行政には横槍が入った。瀬長追放を画策するアメリカは不信任案の改定で瀬長を失職させたが、後任にも瀬長支持の候補が市長に当選。昭和40(1965)年のベトナム戦争激化で反戦・基地反対運動はさらに盛り上がる(参考:その時歴史が動いた:ベトナム戦争)。

瀬長は昭和45(1970)年に戦後沖縄初の国会議員の一人となる。昭和47(1972)年の施政権返還が佐藤総理とニクソン大統領の会談で決まり、5月15日に沖縄は返還されたが基地は存続した。1995年の米兵による少女暴行事件で反対運動は再び起こるが、瀬長は病気で表舞台に登場できず、2001年に94歳で死去した。
(安保や基地について参照:その時歴史が動いた:憲法9条

【感想】◇
沖縄返還といえば佐藤総理の功績ばかり語られるが、沖縄側でも戦後一貫してその主張をして活動した人物が居た。その一人である瀬長亀次郎の闘いを中心に戦後の沖縄の状況を描いた回。

瀬長が沖縄返還の政治交渉に直接携わったり、瀬長の決断で返還が直接動いたわけではない所が物足りなさを感じさせる。あくまでも瀬長の闘いを通して、沖縄の弱い立場や沖縄の人の思いを伝えるというのが番組スタンス。

沖縄返還には「島ぐるみ闘争」と呼ばれる住民の強い意志が作用しており、その運動の核となった瀬長は「沖縄の守り神」とも呼ばれた。核となる人物には不屈の精神と清廉潔白な身上などのカリスマ性が必要で、住民の思いの代弁と、共に行動する姿勢が重要という事か。

住民運動の重要性は、日本人の居ない北方領土と比べると分かりやすいかも。あそこは実際に住んで苦しみの声を上げる人が居ないから返還すらなっていない。外からの運動ではなかなか…。竹島は住まれているし。でも沖ノ鳥島に住民票のある人もいるんだ。なんか話がアレなので深入りはよそう。

民主主義のアメリカの政治を逆手にとって、住民の意志・投票で祖国復帰を果たそうとする瀬長。講和会議で法的に沖縄支配が認められていた状況を打破していく。佐藤内閣の動きはそれら運動の高まりを受けての政治判断と言えそうだ。

番組では何故かひた隠しにしていたが、国会議員になった時の座席の位置で瀬長が何党か分かってしまった(苦笑)。瀬長の逮捕や反共アメリカからの敵視も、瀬長の所属政党による面も否定できない。純粋な返還運動という面を強調するためには、番組的には所属政党を隠すしかなかったというわけか(追記:国会議員になった時はまだ合流してなかったので一応、諸派席だったらしい)。

住民は純粋な思いで返還運動を展開し、その拠り所として瀬長を頼り、瀬長も拠り所として政党に属していたのだろうとは思う。しかし政治的に反共を掲げるアメリカや、その戦いを実際に行っている米軍としては、瀬長も住民も共産主義として括ったほうが潰しやすかったのだろう。

主義主張は別として、人権蹂躙や婦女暴行は絶対的に米軍に非があり、これをきっかけに沖縄では反対闘争に火がつく。場当たり的な対処で残った禍根の積み重ねが、沖縄支配を戦後27年間で終わらせた。

米軍としては血を流して占領した沖縄を全面返還するわけにはいかない事情もあり、面積0.6%の沖縄に米軍基地75%が集中する状態が続いている。沖縄から本土への基地移転を本土が嫌忌する現状では、沖縄の基地を減らすしか解決策は無いはずだが、基地産業の根付きや振興策・補助金などもあり、遅々として進まないね。

ちなみに執筆者の住む所には米軍用地(弾薬庫や通信設備)がある。とはいえ生まれた時からあったし、誘致したわけでもなく、かといって出ていけと強くは思っていない。それで沖縄への免罪符になるわけでもない。
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沖縄返還とは何だったのか(今回の解説:我部政明 著)
瀬長亀次郎回想録
沖縄の青春―米軍と瀬長亀次郎
沖縄における米軍の犯罪
日米関係と沖縄1945‐1972

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