テレビ批評的視聴記 - 2007/06/03

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2007年06月03日(Sun)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:道鏡事件

【あらすじ】東大寺大仏の建立を進めた聖武天皇(その時歴史が動いた:東大寺大仏)は息子を亡くしており、娘を孝謙天皇として天平勝宝元(749)年に即位させた。仏教の興隆と皇位の継承を宿題として科して天平勝宝8(756)年に聖武上皇は崩御。孝謙天皇の政権基盤は弱く、翌年には橘奈良麻呂の変が起き、天平宝字2(758)年には従姉弟の淳仁天皇に譲位せざるを得なくなった。

政治の実権は淳仁を養子として育てた藤原仲麻呂が握り、孝謙上皇との対立が続く中、孝謙は病に倒れる。それを看病したのが東大寺で学び大陸事情にも明るかった削弓道鏡だった。孝謙と道鏡の男女関係が噂されると、孝謙は尼僧の姿となって淳仁天皇を攻撃し実権を奪い返す。藤原仲麻呂が反乱を企てたとして天平宝字8(764)年の恵美押勝の乱で淳仁を監禁し仲麻呂を斬首。孝謙は称徳天皇として再び即位した。

道鏡と共に仏教の振興に努めた称徳天皇だったが、神護景雲3(769)年5月に大分の宇佐神宮から「道鏡に皇位を譲るべし」との神託(お告げ)が送られて来る。和気清麻呂を派遣し神託の真偽を確かめた所、清麻呂は「道鏡を排除すべし」との神託を持ち帰る。称徳天皇は清麻呂と藤原氏が謀略をしたと激怒し、清麻呂を穢(きたな)麻呂に改名させ流罪にした。

神護景雲3(769)年10月1日、称徳天皇は道鏡への譲位を諦め、臣下と藤原氏全員に「恕」と書かれた長さ八尺の帯を配った。譲位問題を白紙に戻し、これ以上の対立を生まぬよう臣下らを許したのだ。称徳天皇は翌年に崩御、その2年後に下野に左遷されていた道鏡も死去。朝廷は長岡京に遷都して仏教勢力とは距離を置いた。

【感想】△
古代史最大のスキャンダル:道鏡事件。孝謙(称徳)天皇と恋仲にあった道鏡が、皇位を狙ったとされる。しかし今回の番組は違う解釈を立て、孝謙(称徳)天皇が道鏡に皇位を譲ろうとしていた…というものになっている。

しかし番組内のVTRを見ても、最初の神託が出てきたのは道鏡が仕組んだと直感してしまう作りになっていた。その後もその直感を覆すほどの説明がなされない。称徳天皇が道鏡に皇位を譲りたかったのなら、最初の神託をすぐに採用すれば良いわけで、わざわざ確認のため和気清麻呂を派遣した行動の説明がつかない。

称徳天皇の行動の原点として、聖武天皇からの宿題(仏教の興隆と皇位の継承)が挙げられている。道鏡に譲位すればこの2つの課題を同時にクリアできるから、称徳天皇は乗り気だったという。その時の理由付けとして聖武の
「天下は汝に授けた。王を奴婢にするのも、奴婢を王にするのも汝の自由だ」
との言葉を反芻していた。

この言葉を文字どおりに解釈すれば、道鏡を天皇にするのも自由という事になるが、これはむしろ言葉のあやと捉えるべきはないか。孝謙の弱い立場を心配していた聖武による、孝謙への勇気付けと周囲への牽制を狙ったものだと思う。天皇の孝謙にはそれだけの力があるのだとの比喩的な表現ではないだろうか。

よってこの聖武の言葉を文字どおりに受け取って道鏡事件を解釈していく事には、納得のいかない面がある。結局、称徳天皇は道鏡への譲位を行わないが、同時に臣下や藤原氏への処分も不問に付す。白紙に戻した政治的決断は、絶妙なバランスをとったけんか両成敗にも思える。

2つの全く正反対の神託は、どちらも偽物だったと考えるべきだろう。最初の神託は道鏡の作り物だし、2番目の信託は和気清麻呂と藤原氏による作り物。称徳天皇は道鏡の出してきた神託の処理に悩み、和気清麻呂に真偽を確かめさせた。しかし清麻呂は藤原氏と結託して正反対の神託を持ってきた。

真偽確認を命じたのに、2番目の神託を清麻呂が新たに作った事に称徳天皇は激怒したのではないか。その2番目の神託から、道鏡と対立する勢力の確かな意思が浮かび上がった。称徳天皇は1ヶ月間考えた末、道鏡の地位はそのままに、2番目の神託を持ってきた張本人の清麻呂のみを処分した。

つまり、道鏡の最大の目的(譲位)は絶対に無いと明確にした一方、藤原氏らの勢力の最大の目的(道鏡排除)も採用せず、最小の処分で済まして寛大な姿勢を見せた。ここで恩を売ったおかげで、称徳天皇の死後も道鏡の命に藤原氏は手を出せず、左遷で済ませたと見るべきではないか。
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