テレビ批評的視聴記 - 2007/05/09

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2007年05月09日(Wed)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:憲法9条

【あらすじ】昭和21(1946)年11月3日に公布、翌年5月3日に施行された日本国憲法。象徴天皇制・国民主権・戦争放棄を柱とし、徹底した平和主義から生まれた憲法だった。憲法九条では、国権の発動たる戦争・武力の行使を永久に放棄、陸海空軍その他の戦力の不保持、国の交戦権も認めないとされた。

憲法作成に当たってGHQのマッカーサーは、天皇が日本の統治に必要と考え、天皇の戦争責任回避のため、戦争放棄と戦力不保持を明確にしようとした。日本政府(吉田茂首相)も国体護持・天皇制存続のためにこれを受け入れ、議会も新憲法案を可決した。(参考:その時歴史が動いた:白洲次郎

しかし東西冷戦・朝鮮戦争の勃発により、アメリカは日本を「反共の砦」と位置付け方針転換。講和交渉のダレス全権大使は日本に再軍備を求めた。吉田首相は保安部隊創設を決断し(参考:その時歴史が動いた:吉田茂)、昭和26(1951)年9月8日、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約に調印。そして昭和27年に保安隊、昭和29年に自衛隊が発足。吉田は苦しい解釈で「戦力に至らしめない軍隊」と答弁。(参考:その時歴史が動いた:サンフランシスコ講和条約

国を守る軍事力が持てるよう憲法で明記すべきとする改憲論を唱えた岸信介らは、改憲に必要な衆参両院での3分の2以上の議席を確保するため、保守系合同を進めて昭和30年(1955)年に自由民主党を結成。一方、改憲は軍備増強に繋がるとする護憲論の浅沼稲次郎は、同年に左右の社会党を統一した。翌年の参院選では護憲勢力が3分の1以上を確保し、国民は改憲を否定した。

昭和32(1957)年に発足した岸内閣は、不平等な安保条約の改定によって世論を味方に付け、改憲を目指すとの方針を出す。米軍に用地を接収された東京立川の砂川では、基地反対運動(砂川闘争)の末、昭和34年に東京地裁が在日米軍を違憲と判断。最高裁でこの判決は破棄された。

昭和35(1960)年1月に日米新安保条約は調印され国会審議されたが、第五条(一方が攻撃を受けた場合の共通対処)から戦争に巻き込まれる危険性があるとして社会党は猛反発。ソ連領空による米U2偵察機撃墜とフルシチョフの基地攻撃警告によって、その懸念は現実のものとなったが、岸は安保条約改定を強行採決(5月19日)。国民の間に安保闘争が沸き起こった。

安保条約の自然承認(6月19日)の1ヶ月後、岸は退陣し池田勇人内閣が発足(7月19日)。9月7日、池田内閣の方針記者会見において池田は「憲法改正は いま考えていない」と表明。以来、経済成長に注力し、改憲は戦後60年なされていない。(参考:その時歴史が動いた:所得倍増計画

【感想】○
憲法9条の成立過程から、池田が改憲論議を封印するまでの13年間を、国際・国内情勢を踏まえつつ、改憲・護憲勢力の闘いとして描き出す1時間の拡大版。NHKらしいバランス感覚を発揮しつつ、VTRとスタジオ解説も普段どおりの進行で、良く1時間でまとめたなとまずそこに感心した。

憲法記念日に合わせ「NHKスペシャル:日本国憲法誕生」「ETV特集選:焼け跡から生まれた憲法草案」も放送され、それらも視聴した上での記事を書いていく。これら3本から言えるのは、改憲論者の強力な論拠の一つである「押し付け憲法」というのが誤りである事だ。

GHQの憲法草案は、日本の憲法研究会が発表した憲法草案に大きな影響を受けて作成された。そして憲法研究会の憲法草案は、大正デモクラシーとその後の弾圧を経験した人物らから生まれた。さらにそれは、明治期の自由民権運動での憲法草案をも参考にしていた。もっと遡ると、自由民権運動はアメリカ独立・フランス革命での宣言を基にしたものである。日本国憲法の平和主義は突如としてGHQが出した物ではなく、世界史・日本史の中で脈々と受け継がれてきた思想から誕生したのである。

太平洋戦争で無条件降伏した大日本帝国だったが、裏では国体護持を条件として求めていた。そしてロシアと戦い続けるよりは国体護持の可能性があったからこそ、米主導のポツダム宣言を受諾した。終戦後、マッカーサーはすぐに天皇制存続を決め、幣原・吉田両首相との利害も一致している。

ここで肝心なのは天皇制であって、憲法9条はむしろ取引条件ともいえる重要度だった。取引は押し付けとは違い、双方の合意に基づくものである。さらに憲法草案は日本の国会審議で修正も加えられた上に、明治憲法の改正手続きに従って可決成立したものだ。

この当初の、憲法9条の重要度の低さが今日までの複雑な問題を生み出したとも言える。マッカーサー、GHQ、極東委員会、憲法研究会、幣原・吉田首相、国会…などなど、日本国憲法作成に携わった人々にはそれぞれ思惑があったが、共通して言えるのは2つあり、1つは天皇制を優先して検討した事、もう1つは共産主義の拡大・伸張を予期していなかった事である。

ここから憲法9条の問題は国際情勢を抜きには考えられなくなる。そして憲法9条に存在する作成時からの曖昧さは、国内的な対立構造を生み出していく。

朝鮮戦争を受けてアメリカは方針転換し日本に再軍備を求めた。世界には「平和を愛する諸国民の公正と信義」が通用しない勢力が存在し、日本の「安全と生存」は保持されないとアメリカは結論付けた。その頃、講和条約を締結し国際社会への復帰を目指していた吉田内閣は、これを逆に利用し、自衛権に基づく最小限の実力を保有する事を日本から提案する形でサンフランシスコ講和条約を結んだ。

これが解釈改憲の始まりであるが、憲法9条の曖昧さが幸運に作用した。一読して理想論ととれる憲法9条は、曖昧さによって可能となった解釈により、現実でも充分に通用する事となった。

自衛権の有無は作成当時から明確にされていない。GHQ内で作成に携わった人物の間では、自衛権も放棄すると考えていた人もいれば、自衛権は当然持っているから明文化するまでもないと考えていた人もいる。日本側でも自衛権の問題が将来出てくると指摘した委員もいれば、自衛権なんて概念すら考慮しなかった委員もいた。憲法9条はどちらともとれる要素を当初から含んでいた。

このような内部事情が、証言により詳細に明らかとなったのは戦後だいぶ経ってからであり、その前の改憲・護憲論争がこれらをどこまで把握した上でのものだったかを考えると、時系列的連関が怪しくなってくる。だからこそ「押し付け憲法」との主張も大手を振ってまかり通り、一文一句変えない護憲論も一定勢力を保ち続けたとも言える。

岸信介の進めた安保改定は、改憲への搦め手であり、その戦術の小ざかしさを国民は感じ取り、純粋に平和を唱える浅沼稲次郎が共感された。2000万人の反対著名やデモに自衛隊出動が真剣に検討されるなど、はっきり言って憲法9条クンも泣くというか笑うしかない状況である。

砂川闘争の伊達判決で法律面でも安保条約の根底が揺るがされる可能性が示され、安保闘争での国民の怒りを目の当たりにした政府自民党には、岸退陣以降に改憲の「信念」とやらを表立って言う者はいなかった。池田は国内問題を軍事から経済重視に切り替え、改憲論を封印した。

それにより改憲・護憲論争も下火になり、その後の様々な国際要因も絡まって問題が複雑化、日本が経済成長で発展を続け、国民からも第9条を含めた憲法は遠い存在になった。

護憲勢力は、戦後日本が戦争をしなかったのは憲法9条のおかげとの思想で満足し、理想論の平和主義に安住した。一方の改憲勢力は、国民と憲法の意識乖離を現実的なチャンスと捉え、その乖離をも改憲の理由に据えて、自分達に有利な改憲論議を進めようとしている。

世界の歴史の流れの一端から生まれた日本国憲法は、戦後世界の影響を受け、解釈改憲で対応しつつ60年間の不変を保った。憲法9条は成立当初には想像もつかなかった役割を担わされる事態に直面した。それでも、成立過程から存在した両義にとれる曖昧さによって国内政治を二分しつつ、国民は結果的にそのバランスをとった世論と投票で政治を動かしてきた。

憲法9条の問題の解消策は、一個人の理解も能力も超えたものになっている。よって単純な改憲・護憲の二分法で結論し主張する人物を執筆者は信用できない。その主張の裏には、不純な動機や単純な平和思想があったりする。ただ、吉田は憲法9条をもドライに駒として使って上手かった、岸はやり口も汚い、浅沼は良くも悪くも国民レベルを理解していた、池田は新たな夢の提示で巧妙だったなとは思う。
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新憲法の誕生
憲法九条はなぜ制定されたか
日本国憲法・検証1945-2000 資料と論点 九条と安全保障
日米同盟の絆―安保条約と相互性の模索
岸信介証言録
浅沼稲次郎―人間機関車

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