テレビ批評的視聴記 - 2007/04/24

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2007年04月24日(Tue)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:村上水軍

【あらすじ】瀬戸内海の芸予諸島を拠点とした村上氏は、村上武吉が跡目を継いだ頃から内紛が起きていた。武吉は一族をより強固な集団にするため海賊を辞め、船団を護衛し通行料を取り始める。また、合図で船団を動かすよう訓練し、砲禄という遠投爆弾を戦闘時に使う「水軍」へと進化させた。

陸の陶晴賢が通行料の徴収権独占を狙うと武吉は毛利元就と同盟し、陶の船団を焼き払い晴賢を自害へと追いこんだ。織田信長が瀬戸内・中国進出のため大坂の石山本願寺を攻めると、毛利軍に協力し信長の水軍を殲滅。天正4(1576)年7月13日に海路補給を果たす。だが天正6(1578)年11月の鉄船との戦いでは惨敗し、一族からは寝返りも出た(その時歴史が動いた:信長の巨大鉄船)。

豊臣秀吉が毛利を取り込み四国九州も落ちると村上水軍は孤立。天正15(1587)年には海賊禁止令が出され、武吉は九州に逼塞。息子たちは朝鮮出兵に動員された。秀吉の死後、毛利輝元が西軍の総大将になると再び毛利方につき、東軍背後の伊勢や知多半島の城を攻撃した。

四国九州の東軍補給路を経つため武吉の本隊は伊予に出撃。しかし慶長5(1600)年9月16日、松前城を降伏させたその夜、降伏した軍の夜襲に遭い敗走。武吉の息子も戦死。その前日には関ヶ原で東軍が勝利しており、徳川幕府になると船の建造は制限された。村上武吉は1604年に死去、その子孫は朝鮮通信史の警護を務めた。

【感想】△
海賊から水軍へと変貌し、毛利に味方して一万石の海の大名となった村上武吉。信長・秀吉・家康すべてと戦った稀有な武将。強まる陸の支配から海の復活を賭けて戦うが、敢え無くその夢は潰えた。

「海の関ヶ原」とサブタイトルにあるから、てっきり関ヶ原の戦いは陸だけでなく海でもあり、知られざる海戦でもあるのかと思ったが、水軍が陸地で騙し討ちされて負けたというものだった。番組ではなぜか夜襲した武将の名を伏せていたが、そんな名もない武将の一捻りで壊滅してしまったという事なのだろう(調べたら松前城は加藤嘉明領で、夜襲したのは家臣の佃十成なのだそうだ)。
「潮の流れを理解し、敵味方の位置を知って正確に舟を操れば、我々は決して負けることはない」
との武吉の戦訓も陸地では通用しなかったという事か。

瀬戸内海の難所:芸予諸島を拠点としている事が村上水軍の何よりの強みだった。地政学的に重要な部分を持つ村上氏だったが、それが弱みでもあったのではないだろうか。狭い海域の難所は、陸地が近い・陸の影響を受けやすいという事でもある。

村上水軍は瀬戸内の要を押さえているから栄えた一方、その繁栄は所詮は陸と陸の間の瀬戸内海だからこそであり、それを越える事は出来ない。陸の勢力が戦国の世で群雄割拠していたからこそ、間隙を縫って村上氏も存続できたのであり、陸が天下統一されてしまえば村上武吉が目指した海の独立など泡と消える。

よって、村上武吉が緩やかな支配で勢力を保つ毛利氏と結びついたのは必然的ともいえる。毛利氏と組んだ事で村上氏は最盛期を迎えるが、その後の歴史は毛利氏の盛衰と同じくしていく印象だ。結局は毛利氏の水軍部隊でしかなかったのかと思わせるほどに。対信長の尖兵として使われ、秀吉と毛利が講和すると没落し、関ヶ原で復活を賭けて戦い敗れた。

その「海の関ヶ原」も、そもそも毛利輝元にどれほど天下取りの意志があったか怪しい状況では、武吉の行動も小さく思えてしまう。瀬戸内海でしか勢力を保てない村上水軍と天下を目指さない毛利では、本気で天下取りをしてくる家康に負けるのは自明の理だったのかも。
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瀬戸内の海賊―村上武吉の戦い
秀吉と武吉(城山三郎 著)
村上武吉―毛利を支えた水軍大将
戦国水軍と村上一族
村上水軍興亡史

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