テレビ批評的視聴記 - 2007/01/13

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2007年01月13日(Sat)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:柳生宗矩

【あらすじ】奈良市柳生町に元亀2(1571)年に生まれた柳生宗矩。父は柳生新陰流の祖:石舟斎だったが、戦場の主役は剣術から槍・弓矢・鉄砲に移っていた。柳生家は伊賀者と姻戚関係にあり、忍びの術を磨いた。だが秀吉の太閤検地で領地没収され近江でひっそりと暮らした。

文禄3(1591)年、剣術好きの徳川家康の目に留まった新陰流。家康は自ら木刀で立ち会う。だが、振り掛かった家康は新陰流「無刀」によって倒される。以降、柳生家は家康に仕える。6年後の関ヶ原での諜報の働きによって柳生家は領地を与えられ再興。米子の中村家騒動、大阪冬の陣などでも情報収集をした。夏の陣で柳生宗矩は秀忠を警護し、本陣に突入してきた豊臣決死隊35人を次々に斬った。

徳川幕府で柳生家は徳川家の剣術指南役となり、全国の大名が柳生新陰流を学ぼうと門弟を召抱える。柳生家は門弟を情報網とし諜報活動を行っていた。元和2(1616)年9月、宗矩の友人:坂崎成政が千姫婚儀のもつれを理由に挙兵すると、宗矩は成政が切腹すれば家は存続と説得した。だが幕府は宇喜多家と縁のあった坂崎家を取り潰し、宗矩は結果的に友を裏切った事で苦しむ。

芳徳寺の沢庵から「受け流しこだわらない心こそ動かぬ心」と教えられた宗矩は、家光と出会い、剣術を教示する事で自らも剣術を極めていく。剣をいかに用いるか、そのためにいかに心を養うか。「活人剣」の境地に達した宗矩。
「悪を殺して人を活かす。人を殺す刀も人を活かす剣になる」

元和9(1623)年7月、宗矩を父のように慕っていた家光が将軍職に就く。そして寛永12(1635)年6月21日、武家諸法度を制定。秀忠時代の武家諸法度が恐怖政治の道具だったのに対し、家光のそれは平和維持の手段の性質をもった。

【感想】○
不遇にあった柳生家が徳川家と結びついて再興し、将軍家の流派となった柳生新陰流。その裏では、忍びの術によって石高を上げ、門弟情報網を諜報に使うなどの一面も持つ。だが宗矩は坂崎家取り潰しによって両面の使い分けに苦悩し、やがて剣の道を極める。剣によって人を正しく導く。宗矩の教えは家光に刷り込まれ、平和的な武家諸法度に繋がったその時。

柳生家と忍びの関係はあまり知らない所だったので、再興や大名への出世に重要な役割を果たしたというのは勉強になった。特に、全国に召抱えられた門弟を情報網として活用していたとは驚き。表と裏の顔がよく現されている。

柳生宗矩は常に剣と忍びのバランスで苦悩していたようにも思えた。剣によって家康に仕えたものの、忍びの功績で家は再興し、諜報活動で暗躍していく。それでも秀忠警護で剣豪の名を轟かせた。

この両面が破綻したのが千姫事件の坂崎成政騒動。友の挙兵を察知・防止できなかった諜報の失敗。そして剣によって解決できなかった己の限界、もしくは剣で解決できると思っていた未熟さ。剣も忍びも政治の前には無力だった。両面を使い分けて政治面でも活動していた宗矩は挫折する。

そして宗矩は原点に立ち返り、剣の道を極めようとする。家光への剣術指南を通して友に成長する宗矩。剣の筋は良いものの、両親から愛されず粗暴な面を持つ家光。これを剣をもって正しく導こうと考えたのか。

戦場の主役は剣ではなくなったが、徳川家の世になり戦が無くなり、武士には剣が残った。他者へ向かう剣が飛び道具に取って代わられ、また再び戻ってきた時、それは自分へ向かう剣となった。「悪を殺す」とは自分の中の悪を殺すという事では。

自分の中の悪を殺せない者は、他者へ向かって悪を放つ。それが戦乱の元となる。太平の世の剣は自らを律するためにある。だから軍事力行使などはできない。家光の武家諸法度と「天下統御の道は宗矩に学びたり」との言葉の意味はこういう事ではないだろうか。
参考記事:柳生十兵衛七番勝負 島原の乱
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徳川将軍と柳生新陰流

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