テレビ批評的視聴記 - 2006/09/05

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2006年09月05日(Tue)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:吉田茂

【あらすじ】日本独立〜吉田茂とサンフランシスコ講和条約〜前編。反戦和平派として陸軍刑務所に収監されていた吉田茂。暗号名:ヨハンセン(吉田反戦)。昭和20年5月に釈放され、終戦後の9月に外務大臣に。「どういう講和を目指すか、それで未来は決まる」パリ講和条約に随行していた吉田は、多額の賠償金で破綻→ナチズムへと進んだドイツを見ていた。

昭和21年5月22日、吉田は総理兼外相に。11月3日にGHQ案に沿った憲法公布となったが、民主化・非軍事化の憲法は講和に有利と考える。その後、マッカーサーが日本独立を提案するも東西冷戦が始まり、講和協議開催は暗礁に乗り上げる。日本国内では連合国全てとの全面講和か、西側とだけの単独講和かで世論は割れる。

昭和25年2月14日、中ソ同盟。日本は名指しで仮想敵国とされ、吉田は単独講和へと舵を切る。4月、渡米する池田勇人蔵相に「米軍駐留を日本政府が提案してもよい」とのメッセージを伝えさせる。白州次郎も特使として派遣。これで米国務省・国防総省・マッカーサーの対立で膠着していた米政府の対日講和案が動く。

昭和25(1950)年11月24日、請求権棄却、安全保障:日米の共同責任などを柱とする対日講和七原則が公式に示された。吉田の求める「寛大な講和」「日本の安全保障の確保」の達成に目途の着いた瞬間だった。

【感想】○
「戦争に負けて外交に勝った歴史がある」その信念で被占領下にある日本を「良き敗者」とし、マッカーサーに追従し、憲法も受け入れ「寛大な講和」を目指し、さらに「日本の安全保障の確保」をも果たそうとした吉田茂。東西冷戦で高まる日本の地政学的地位を利用して、絶妙のタイミングで米政府を動かす所が吉田外交の真骨頂。

連合国による「日本分割占領計画」(日本を米・英・ソ・中で分割する)まであった中、吉田の外交手腕によって賠償金些少・領土98%確保で済んだ独立は確かに凄い。被占領国という弱い立場にあってこれだけの事ができたのは、吉田の外交勘がずば抜けていたと言うしかない。

新憲法制定で米国の言いなりと捉える向きの多い中、これで講和がしやすくなったと考えたり、東西冷戦で日本が反共の砦となった事にも、日本が米国の防波堤になったのではなく、米国にとって不可欠の存在になったと考える吉田。物事の裏側を見ようとする姿勢があり、これを逆手にとっての戦略としていったのだろう。

「米軍駐留を日本政府が提案してもよい」のメッセージも吉田流の逆手戦術で、どうせ米軍が駐留せざるを得ないならば、こちらからお願いした事にして、その分の日本の要求(請求権棄却)を有利に引き出そうとの思惑があったのでは。本心から米軍駐留を望んだのとは違う気もするが、この辺は微妙で完全には分からない。

吉田外交を抜きに講和条件を考察してみると、地政学と終戦時の占領軍の状態が大きいような。第一次世界大戦でのドイツは完全講和をしたから、各国が競って要求を高め、多額の賠償金となって破綻した。

第二次大戦でのドイツは終戦時に、主要な土地を米英軍とロシア軍に占領された状態だった。これで分割占領・分裂国家への道が決まった。イタリアは米英軍に降伏し、ロシアの入り込む余地がなかったから地政学的地位も低く、米英の言いなりで多額の賠償金となった。

日本は終戦時に本土を占領されていなかった。沖縄を米軍が、戦後にロシアが千島占領(ォィ)した所で済んだ。その後の東西冷戦で地政学的地位が高まり、賠償金些少で領土98%の寛大な講和が果たされたとも考えられる。
参考記事:その時歴史が動いた:白洲次郎
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日本を決定した百年(吉田茂著)
吉田茂とその時代
吉田茂―尊皇の政治家
吉田茂=マッカーサー往復書簡集―1945‐1951
吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」

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