テレビ批評的視聴記 - 2006/06/25

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2006年06月25日(Sun)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:薩英戦争

【あらすじ】開国後の日本に通商条約批准のため来日した英国使節団全権:ラザフォード・オールコックは、兵士の大パレードをして江戸城入城。富士山に登頂し祝砲と祝杯。交渉では常に威圧的態度を取り、最後には英国艦隊が攻撃すると脅迫。

だが実際には、第二次アヘン戦争のため日本に派遣できる艦船は一隻もなく、オールコックは虚勢を張っているだけだった。数々の言動は攘夷を誘発し、文久元(1861)年7月5日にはイギリス公使館襲撃事件が起きる。日本人の反感にようやく気付いたオールコックは英国に帰る。

後任のニール中佐も威圧的態度を続け、文久2年8月21日に薩摩藩の行列を横切ろうとしたイギリス人を殺傷した生麦事件へ。文久3年3月、英国艦隊が到着し幕府から10万ポンドの賠償金を得る。そのまま宴会を催しつつ艦隊は薩摩へ向かう。

琉球との密貿易でいち早く英国艦隊を警戒していた薩摩藩は軍備増強を計っており、自力開発の大砲を含む85門で鹿児島湾は一大要塞と化していた。事前交渉で英国が島津久光の首を要求していると誤解した薩摩は、文久3(1863)年7月2日正午、英国艦隊へ先制攻撃。不意を突かれた英国艦隊は動揺。だがやがて反撃に転じて城下を焼き払う。しかし旗艦ユーリアラス号艦長・副長が戦死し、3日後に撤退。

英国の実力を知った薩摩藩は3ヶ月後の講和で賠償金を払い、以後英国との貿易を拡大し、その軍事力は明治維新の原動力となった。

【感想】○
居もしない英国艦隊を脅しの材料に使い、いたずらに攘夷の機運を高めてしまったイギリスが、死傷者を出すまでに至り、ようやく本物の艦隊が到着して日本屈服を図るも、予想だにしなかった薩摩の猛攻で大混乱に陥り、幕府だけが日本ではないと気付き、薩摩をパートナーとして討幕をなす。

オールコックやニールの交渉術は実際の艦隊がない分、虚勢と脅迫頼みとなるわけだが、辺境の日本への蔑視も当然含まれていたのだろう。そして英国艦隊を脅し文句に使い続ける内に、自分までもがその強さを過信してしまったのだろう。とにかく英国艦隊があれば何でも物事が上手く行き、思い通りになるのだと。

その脅迫を受け続けていた幕府は、英国艦隊を見るや否や賠償金を払ってしまう。一方、冷静に国際情勢を把握していた薩摩藩は果敢にも戦いを挑む。この違いが逆に、イギリスにとっては幕府は信用できず、薩摩は骨のある(見込みがある)相手として映ったのだ。

今までの執筆者の認識では、薩英戦争と下関戦争がごっちゃになっていたのと、生麦事件から賠償金を薩摩が払った結果のみで、薩英戦争は薩摩がしこたまやられた戦いだと誤解していた。射程距離まで引き付けての先制攻撃、旗艦艦長・副長の戦死など薩摩の善戦は知らなかった。でも番組では触れられなかったが、薩摩の大砲もほとんどが大破したらしい。

幕府からの賠償金を積んだ箱で弾薬庫を開けられず、反撃が出来なかった英国艦隊というのはあまりにも滑稽だ。皮肉が効いてるしこんな形で幕府の力が発揮されるなんてw

薩英戦争後に薩摩と英国が手を組んだ歴史も今までは疑問があったのだが、今回を観てやっと分かった。戦って互いを理解するとは単純化しすぎだが、逃げ腰の幕府は信用するに値せず、一戦交えた後にさらりと講和のテーブルに着いた薩摩の力と理性には、英国も目を見張るものがあったのだろう。思想信条だけで突き進む事無く、情勢分析を柱として戦争と平和を使い分けた薩摩藩が討幕を為し得るのは自明の理だったのか。
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遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄2 薩英戦争
オールコックの江戸―初代英国公使が見た幕末日本
島津久光と明治維新―久光はなぜ討幕を決意したのか
『幕末』に殺された男〜生麦事件のリチャードソン〜

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