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【あらすじ】聖武天皇は、平城京で大宝律令を制定し法体系の整備を図る朝廷にあって即位した。豪族支配から国の支配へと移行させ、税を直接納めさせる租庸調の律令政治を推し進めるが、飢饉でも変わらぬ重い負担に耐え兼ねた民衆は、土地を捨て逃亡。
同時期、救済と布教を行う行基は、民衆の不満をすくい上げ、一万人集会を催すなど朝廷にとって脅威だった。行基の下には民衆が無償で工事に参加し、法と権力で支配していた聖武天皇は考えを改める。
行基を訪ねた聖武天皇は、仏教を民衆のために開く考えを示し、これに共鳴した行基と巨大な仏像造りに乗り出す。だが建設地での災害、行基の弟子の分裂、銅の鋳造での爆発事故など、工事はなかなか進まず行基も死去。
聖武天皇は建設地で自ら土を運んだり、髪を剃り下級僧侶となって民の安全を祈った。そして天平勝宝4(752)年4月9日、高さ16mの東大寺大仏が開眼。その筆に結び付けた紐:縹縷(はなだのる)を聖武天皇も共に持った。
【感想】○
法と権力で民衆を支配し、白村江で敗れ失墜した国力の回復を図ろうとした聖武天皇が、仏教による救済を広める行基の姿に教えられ、民衆のための仏教としての仏像造りを協働する。これによって民衆の心は結集し、聖武天皇の政治も上手く進んだという内容。対照的な聖武天皇と行基を描きつつ、最後には民衆も含めて1つになるというまとめ方が奇麗だった。
律令政治・租庸調の制度は、強い国を創るためという理念あってのものだったが、民衆にはその理念よりも、毎年の税負担の方が身近にあり、朝廷への反発を生み支配力は弱まった。その動きが聖武天皇に「人民は無知」との考えを抱かせた。法律や税制が何のためにあるのか説明不足だったと言える。これは現代も同じか。
一方の行基は、民衆の声を直接聞く集会を開き、仏教が民衆を救うとの布教活動をする。民の暮らしを良くするための工事を始め、それを理解した民衆は無償で参加しだす。単純に言えば国家が先か国民が先かの違いだが、聖武天皇は自分の考えの誤りに気付かされ、行基との話し合いを求める行動に出た。
支配層だけの物だった仏教を民衆に開放し、仏教の力をもって国創りをしようとの聖武天皇の新しい考えは、これまでの両者の思想を融合させたものといえる。穿った見方をすれば、仏教を利用し取り込んだともとれる。これは大仏建造か地道な活動かで割れた行基の弟子達からも見て取れる。大仏建造に否定的な弟子には、行基は利用されているだけと映ったのだろう。
しかしその後の聖武天皇の行動は、上からの強制ではなく民の所へ降りて物事に当たる姿勢が貫徹されている。これも批判的にはパフォーマンスともいえるが、これまでの朝廷では絶対にやらなかった行動に出た事は評価して良いのでは。私利ではなく国のために行動する政治家としても聖武天皇は優れていたという事か。
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行基と律令国家
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