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【あらすじ】ガリレオ・ガリレイはピサの音楽教師の家庭で生まれピサ大学医学部に進むが、物体の動きを数学で説明する動力学に興味を持ち中退。実験と観察により、重い物と軽い物が同時に落ちる「落体の法則」などでパドパ大数学教授。
そして戦争の道具だった望遠鏡を夜空に向け、史上初の天体観測を行う。木星の衛星「メディチ星」を発見し主席数学者兼哲学者。『星界の報告』を著しローマ教皇庁でも天体観測。バルベリーニ枢機卿らが絶賛。やがて金星の満ち欠けを、67年前にポーランドのコペルニクスが仮説として提示した地動説の証拠と考える。しかしこれはキリスト教の天動説に反するものだった。
異端審問所での裁判で有罪となり、地動説を唱える事を禁じられたガリレオ。地動説と天動説を仮説として闘わせ、読者に判断を委ねたイタリア語で書かれた『天文対話』はベストセラー。だがこれにウルバヌス8世(元バルベリーニ)が激怒。再び異端審問所での裁判となる。
1633年6月22日、ガリレオは地動説を放棄し死罪を免れ幽閉。そこでただ真実を残したいとの思いから『新科学対話』をプロテスタント圏で出版。ニュートン、アインシュタインの研究へと繋がる。1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオの宗教裁判の誤りを認め謝罪。
【感想】△
あくまでも科学の真実である地動説を唱えたガリレオだが、当時のキリスト教の教義と権威に反するものとして地動説は封印され、ガリレオ自身も刑罰を受けたストーリー。科学の地位よりも宗教政治の力が強く、カトリックとプロテスタントとの30年戦争の荒波にも翻弄された。だが真実の力を信じて信条を曲げなかったという。
生活は苦しかったが、科学の功績で地位と名誉を高めていったガリレオ。だがそれはキリストの教義に反しない範囲での功績だった。教義は正しいが解釈の修正で地動説は受け入れられるはずと読んだガリレオは甘かったのか。宗教改革後のカトリックとプロテスタントの対立に巻き込まれる。カトリックの権威を回復したいと考えるローマ教皇にとって、地動説はカトリック勢力を揺るがす脅威だったのだ。
一度有罪となっても、両論併記で地動説を弁護も支持もしていないとする天文対話に、「いかなる方法であろうとも教えてはならない」とする教会側。自分の信じる説の正しさに殉ずるか、地動説を放棄して死を免れるか、という選択で異端放棄を決断する。ここを「その時」に設定した理由が極めて解りにくい。この時なぜガリレオが地動説を放棄したのか、その説明が深く行われなかったから。
科学者の立場で説を曲げずに死ぬのも立派だが、生き残って研究を続ける道もあると考えたのだろうか。自分は罪を認めて地動説を放棄して服役しても、地動説自体の真実は変えられないとの信念か。それが後に創作された言葉「それでも地球は回っている」になるのか。
科学と宗教の混同を解釈の問題として分離しよう…とのガリレオの考えは早すぎた。そして解釈の違いだったと認めたガリレオの名誉回復は遅すぎた。だがしかし、アメリカでは今でもキリスト教に反するとして進化論否定の声が高まっている。さらに情けない事に、キリスト教と関わりのない日本の教育現場では、小学生の4割が天動説に丸を付ける状況だったりする。
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ガリレオ・ガリレイ―地動説をとなえ、宗教裁判で迫害されながらも、真理を追究しつづけた偉大な科学者
ガリレオ・ガリレイ
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