【あらすじ】播磨の船乗りの次男だった彦太郎は、13歳で江戸に向かう途中で遭難、米商船に拾われアメリカ・サンフランシスコへ。税関長サンダースの家で暮らし、教育・洗礼も受けた。
商社に就職しニュースペーパーに取り上げられ、ジェームズ・ブキャナン大統領とも面会したジェセフ彦。自由なアメリカを実感した彼は、日本にこの違いを伝えたいと思うようになった。日米和親条約の締結を機に日本に帰ろうとするジョセフ彦だったが、キリシタン弾圧で迫害される恐れがあるため、米国籍を取得。
横浜の外国人居留地で通訳として働き、新聞作りを実行に移す。岸田吟香と本間潜蔵の2人を協力者に迎え、情報統制を目論む幕府の取り調べにも、治外法権を盾に一歩も譲らない。
1864年6月28日、諸外国の情勢や物価などを記載した「新聞誌」5部を発行。その後、手書きを木版印刷に改めた「海外新聞」を100部に増やす。福沢諭吉も購読者だった。
横浜大火でジェセフ彦の新聞は絶えるが、伊藤博文・木戸孝允がジョセフ彦を訪問したりするなど、明治の世を作った人々に影響を与えた。新聞は、明治2(1869)年に新聞紙印行条例が制定され、国の許可が下りれば発行できるようになった。
【感想】△
漂流して米船に拾われアメリカ世界を見て、日本に帰って何かを為す…その人生はどうしてもその時歴史が動いた:ジョン万次郎とダブってしまう。そして功績の大きさではロシア外交で活躍した、その時歴史が動いた:高田屋嘉兵衛には到底及ばない。大小を比較決定するのが無意味だとは分かっていても。
瓦版や官報に対するジョセフ彦の新聞の決意である
「美辞麗句を多用する日本の文章は、文字そのものに自ら酔っている。新聞の記事は、事実を正しく民衆に伝える事を第一とし、そこに感動が生まれるはずだ」
とは名言か。実はこれ、ネットでの文章の書き方にも通用したりする。
ジョセフ彦が日本にアメリカを伝える事を決意する転機となった大統領との面会。アメリカ到着直後と商社就職後の二度面会したような説明があったが、どうして面会できたのか、どんなやり取りがあったのかの紹介が無いため、これが分岐点になったと言われてもピンと来ない。
本当にアメリカが自由だから面会できたのか、日本進出の戦略の一環として政治利用されただけなのか、ジョセフ彦がどこまで自覚していたのかは知る由も無い。
むしろ今回は、ゲスト:石川好との対話の中で松平アナが質問した「ジャーナリズムと権力」についてを聞き出したいがためにあったように思えた。その回答は
「自分と他国を知る、他人を知るのがジャーナリズムの原点」
「自己批判をする力が無くなると、ジャーナリズムは権力と言われる」
であり、政治家の圧力で番組が改編されたとの疑惑を掛けられているNHK自身への自己批判ともとれるものだった。
ゲストという部外者を利用しての一歩踏み込んだ形になり「おっ」と思わせた事は確か。しかしこれを免罪符にできるほど甘くないのもこの問題の大きさか。
前回記事
アメリカ彦蔵(吉村昭 著)
新聞と民衆―日本型新聞の形成過程
横浜から新聞を創った人々
NHKと政治―蝕まれた公共放送
NHK―問われる公共放送
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