テレビ批評的視聴記 - 2005/12/09

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2005年12月09日(Fri)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:真珠湾攻撃

【あらすじ】山本五十六は軍令部の許可を得ぬまま真珠湾攻撃を想定した訓練を行う。97式艦上攻撃機による高度10mからの低空魚雷攻撃。一方山本は、日米外交交渉に戦争回避の望みを託していた。しかし仏印進駐や東条内閣成立、そして交渉期限が12月1日までと定められた御前会議など、確実に戦争の機運は高まっていた。

ヒレを付けた改良魚雷で水深の浅い真珠湾で使えるようになり、軍令部も作戦了承。山本五十六は世界初の航空艦隊を編成し、単冠湾から南雲忠一を艦隊指揮官として出撃させる。交渉が成立すれば直ちに反転して引き返す準備も整えた。しかし「新高山登レ1208」。「万事休すだ」と山本。

真珠湾を予定通り奇襲し、戦艦を含む18隻を撃沈大破、200機以上の航空機を破壊。だが、第二次攻撃を南雲司令は行わず、山本五十六もこれを追認。そして開戦通告が55分遅れ、騙し討ちになってしまった事を山本は知る。

ミッドウェー、ガダルカナルでの敗北後、戦況悪化とともに前線視察を頻繁に行った山本五十六は、ブーゲンビル島上空で暗号を解読した米軍機の待ち伏せ攻撃に遭い、撃墜され戦死。

【感想】○
戦略・戦術ともに練りに練って決行した真珠湾攻撃だったが、大戦果をもたらしたその瞬間こそ、日本の敗北が決定した瞬間でもあった。山本五十六は後の歴史を知る我々とは違った意味で、敗北をその瞬間に悟った人物だった。その場にいた者の中で山本だけが浮かない顔をしていたのだった。

最初に敵の母港を叩いて戦意を喪失させ早期講和…という戦略を実現するための、低空攻撃、改良魚雷、そして開戦手続きの時刻合わせという戦術。そして山本が個人的に最も力を入れたのが、交渉成立時の作戦中止の徹底だった。

しかし開戦が決定し、宣戦布告の手続きは遅れ、敵空母は見つからず、第二次攻撃もされない。軍令部の作戦書には航空艦隊は無傷で帰るよう指示されていた。山本と軍令部、そして南雲忠一との思惑のズレが形になる。

リメンバー パールハーバーの掛け声で士気の上がる米国。取り逃がした敵空母によってミッドウェーでは味方空母を失い、ラバウル飛行場を不沈空母と見なしてガダルカナル及び敵空母撃滅を図った「い号作戦」の視察中に山本は戦死する。

戦争回避を望みながら連合艦隊司令長官の立場にあった山本五十六は、その立場でできる最善の策である早期講和を図ろうとする。それが真珠湾作戦の本質であり、山本の軍才の全てを賭けた大勝負であった。

しかしそれは山本の手の届かない場所でのミスによって失敗に終わる。開戦前に米国との国力差で敗北を確信していた山本は、開戦直後の失敗によって敗北が決定的となった事を悟った。後に、占領した南方から全部撤退して講和する…とも語ったようだが、それを行う立場になく、行う人物も見当たらない状況にあって、山本は自殺に近い戦死を決行するしかなかったのだろう。
前回記事(真珠湾への道)

真珠湾作戦回顧録(源田実 著)
真珠湾攻撃(淵田美津雄 著)
“真珠湾”の日(今回の解説:半藤一利 著)

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