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【あらすじ】1841年、土佐漁師:万次郎は14歳の初の出漁で鳥島に漂着。150日後、米捕鯨船:ジョンハウランド号に救出されるが、異国船打払令で日本に帰れず、ホイットフィールド船長の好意でニューベッドフォードに。ジョン・万として航海術を学び、捕鯨船に乗って太平洋を周る。
ゴールドラッシュのカリフォルニアで600万円を稼ぎ、1852年に上海行の商船に乗り、琉球近海で自前の小舟に乗り換えて魔文仁の丘に上陸。帰国を果たすが鎖国の禁を犯した者として長崎奉行所で1年間の取り調べを受け、故郷で静かに暮らす。
1853年のペリー来航でアメリカの事情を知る者として召し出され、アメリカが親睦を求めている事、彼らにとっての捕鯨の重要性、交易を望んでいない事を訴える。中濱万次郎として通訳に取り立てられるが、徳川斎昭からスパイ嫌疑を掛けられ外される。
その命に背き、江川英龍とともに横浜に出向いた万次郎は、幕府全権:林大学頭と面談。通商までも飲もうとしていた林に、開港だけに止めるよう説得。ペリーとの交渉の隣の部屋に待機し、陰ながら通訳を務めた。交渉は終始幕府ペースで進み、1854年日米和親条約締結。
【感想】○
一介の漁師にすぎなかった万次郎が、アメリカを見て来た事と、アメリカの事情をどうしても知る必要があった幕府により、歴史の表舞台に登場し、決定的な情報源となる。その波瀾万丈の人生を描いた回。
まず万次郎がその数奇な運命を辿ったのは、捕鯨をして漂流し、捕鯨船に救出された所からだろう。そして捕鯨がアメリカにとって重要な産業であった事だ。石油が採れる前は鯨油が産業革命を支えていた。食肉とする日本と油として全産業に波及しているアメリカ。万次郎は鯨油から近代文明の理解をしていったのかもしれない。
驚いたのは砂金で帰国資金を貯め、小舟で帰国した下りだ。帰国への強い思いと大胆な行動力の裏には、日本も開国して鯨油で近代化できる、自分はその捕鯨漁をやりたい…との希望があったからなのだろうか。
その願いは一旦は潰えたかに見えたが、ペリー来航で万次郎の出番が回ってくる。水・食料・燃料補給の開港だけを認め、通商は拒否、戦争や占領は脅しに過ぎないと説く。それはペリーの妥協ラインと一致するものだった。
その交渉の隣部屋に万次郎がいて、文書を渡され、訂正・確認された…というのが新事実として明かされたが、これは本当なのだろうか。日本側の記録ではなく米側の資料から引用なのだという。幕府ペースで進んだ交渉に対するアメリカ側の恨み節にも思えるが。
前回記事
ジョン・マンと呼ばれた男―漂流民中浜万次郎の生涯
中浜万次郎―「アメリカ」を初めて伝えた日本人
私のジョン万次郎―子孫が明かす漂流の真実
中浜万次郎集成
ペリー提督日本遠征日記(ペリー著)
図説・幕末志士199―決定版(今回の解説:岩下哲典 共著)