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【あらすじ】朝廷の仏教による国づくりの負担は、民衆の増税に跳ね返った。人々は納税義務のない僧侶になって逃れ、税収は減り名ばかりの僧侶が増え、国は混乱した。
これを解決すべく、名高い僧である鑑真和上を唐から呼び寄せようとした朝廷。鑑真和上は仏法のため国禁である渡航を決意。密告や海難で5度も失敗し、炎天下での漂流から失明する鑑真。6度目にして遂に日本に到着。
戒律を一任された鑑真和上は、舎利(ブッダの骨)を埋めた東大寺で受戒された者のみを僧侶と定め、税金逃れの僧侶を一掃した。この功績から大僧都(だいぞうず)に任命される。
しかし2年後、鑑真和上はあっけなく解任。平城京の一角に移り住んだ鑑真は、修行だけを行う寺:唐招提寺を寄進によって759年に築く。正式な僧侶ではないが、正しい仏法を悟った弟子達が日本各地で布教活動をした。
【感想】○
全く知らなかった事情が明かされ、学校で教わった事は何だったのだろうと愕然としてしまった。鑑真和上といえば、「失明してまでも日本に来て、唐招提寺を建てて布教した偉いお坊さん」「唐招提寺は唐から招かれて建てた寺」と教わった。朝廷との対立や私学として寺を建てた事など初耳だった。
正式な僧侶だけを認めたいとする朝廷と、正しい仏法を広めたいと思う鑑真和上。最初はその目指す所は同じだった。しかし、税収確保のためできるだけ僧侶を増やしたくない朝廷と、正しい僧侶を増やしたい鑑真…といったようにズレが生じる。だから2年で解任となった。
ここからが鑑真和上のスゴイ所で、税や形式とは関係無く、純粋に悟りを得た僧侶を増やそう、そのための修行の場を作ろうと考え唐招提寺を建てる。朝廷の金ではなく人々の寄進によって建て、身分の隔てなく自由に修行をさせた。それが「招提」の真の意味だった。
唐招提寺から、戒律を守り正しい仏法を説く僧侶が全国に散らばり仏教を広める。それは結果的に朝廷の仏教による国づくりを助ける事になった。鑑真和上の信念は朝廷との対立を超越したのだ。
今回の解説者は梅原猛。高名な学者だが、短い尺では氏の良さは発揮できていなかった。テレビでコメントする難しさを改めて感じた。本編の内容では、唐招提寺をどのように建てたか、その様子のもっと詳しい説明があれば尚良かった。
前回記事
鑑真 戒律を伝えた僧(ひろさちや著)
唐招提寺と鑑真和上物語
鑑真 人物叢書
鑑真和上―私の如是我聞(著者は唐招提寺で修行の日々を送った)
おん目の雫ぬぐはばや―鑑真和上新伝(中国側からの最新鑑真研究)
唐招提寺(唐招提寺編集)