テレビ批評的視聴記 - 2005/09/04

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2005年09月04日(Sun)▲ページの先頭へ
その時歴史が動いた:石田三成

【あらすじ】長浜を再興した豊臣秀吉に憧れて仕官した石田三成。太閤検地や兵站で頭角を現す。秀吉死去後の徳川家康の増長に、五大老・五奉行制を活用して待ったをかけようとするが、逆に追放され佐和山城で謹慎。

知謀を巡らし、秀頼を守るという大義名分を掲げて決起。家康の弾劾状に呼応して9万の軍勢が西軍となる。一方の家康は、三成が秀頼を操っていると喧伝し、所領安堵・加増をちらつかせて東軍を増やす。

三成・家康が相対した関ヶ原。三成の首を取るために三成の陣地に殺到する徳川軍。大谷良継・宇喜多秀家・小西行長軍が崩壊しても石田三成軍は隊列を乱さず、逆襲までしたが遂に力尽き敗北。

捕えられた三成は「再起するつもりでいた」と述べ、家康は「命をみだりに棄てざるは将の心とする所。恥辱にあらず」と感心する。

【感想】◇
冒頭の松平キャスターの説明「関ヶ原を石田三成の側から描き名誉挽回したい」…との意気込みにしては凡庸な内容。同じNHKの大河ドラマ『葵・徳川三代』の序盤を観た方がためになるのでは。あの番組は石田三成と徳川家康を実に公平に描いていた。

統治・物資補給システムの構築に才能を発揮し、謹慎の身でありながら全国の大名を二分させる大戦略で家康をあと一歩まで追い詰めた大局観。戦さ下手・人望無しと言われているが、関ヶ原での石田三成軍の戦い振りは尋常ではない強さだった。その強さの原点には人望があった…と強調されていた。

番組では触れられていなかったが、兵站能力は小田原攻めや朝鮮出兵での功績。大軍を集めるだけの企画力は評価すべきだが、その後の国の展望を示せなかった事が西軍の士気・参加意識の低さを招いたので、大局観があったかどうかはやや疑問。

人望の無さは、あまりにも頭脳明晰で正義感が強かったためのものと思われる。絶対的に不足していたのではなく、相対的に見て人望を得る能力に劣っていたために人望無しと伝えられているのではないか。

上下関係で見れば主君秀吉に可愛がられ、島左近などの部下に恵まれた。しかし横の関係である同僚には、その正義感の強さ故に疎まれる存在だったのだろう。

また、公平さや偏見の無さもある。不幸にも主君が倒され、路頭に迷った能力ある浪人を積極的に自軍に受け入れた結果が、尋常でない戦い振りを発揮した6000人の兵であった。ハンセン病になって誰も近づかなくなった大谷良継に「その病気は伝染しない」と言って無二の友情を築きあげた。今でも差別が残るハンセン病だが、石田三成は400年以上も前に病気の本質を見抜いていたのだ。
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