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【あらすじ】満州国を建国した大日本帝国は、100万を超す移民開拓団を送り込み、70万の関東軍を置く。1939年ノモンハン事件での敗戦を隠し「泣く子も黙る関東軍」と言われるほどの無敵70万神話を作り上げた。
1941年4月13日、日ソ中立条約成立。有効期間は5年。この後、ロシアは対ドイツ戦、日本は太平洋戦争へと突入。44年11月、スターリンは日本を敵視する演説をし、45年2月のヤルタ会談秘密協定により対日参戦を確約。4月に中立条約延長破棄通告、5月のドイツ降伏から満州国境に兵力を集結させる。その数170万。
一方関東軍は、南方戦線に30万、本土防衛に10万の兵を割き、その戦力は骨抜きに。そこで開拓団の男性を現地徴用する「根こそぎ動員」によって兵力を維持。その実体は兵器・練度ともに劣る数合わせ。
日本政府は、45年6月22日の御前会議にて条約延長と和平仲介のソ連依頼を決定。7月のポツダム宣言にソ連が加わっていない事から希望的観測を持つ。だが、8月9日ソ連参戦。9日11時、ポツダム宣言受諾を巡り御前会議。10日2時、受け入れ決定。
満州では開拓団のうち3万人が戦闘で死に、21万人が避難生活の中で死亡。関東軍兵士も含め57万人がシベリアに抑留され、6万人が死亡。幼い子供の中には中国残留孤児となる者もいた。
【感想】○
歴史の中であまりにも知られていないソ連参戦は、放送するだけで価値がある。45年8月9日開戦で19日停戦というわずか10日あまりの戦闘で、これだけの犠牲が出た事実は押さえておかなくてはいけないポイントだと思う。もっと言えば、15日の終戦後に戦闘の始まった千島・樺太も知っておくべきだと思うが、それはまた別の回でやる事を期待する。
全体的な概観としては、時系列的にソ連と日本政府・開拓団の動きを並べ、ソ連の態度が変わって行く様に全く気付かず、また気付こうともせずに自分達の希望的観測で対ソ外交を展開した日本政府の無能ぶりを強調し、その犠牲となった開拓団の悲劇を描く内容となっている。
満豪開拓団は日本での農村人口の爆発と恐慌の解決策として始まったものであり、関東軍の引き抜き、現地徴兵といった政策も、その時点の解決策としてはやむを得ないものだったとも言えるが、その場しのぎの面も強い。
ソ連への和平仲介は滑稽さを禁じ得ないが、逆にいえば、いかにこのとき日本が追い詰められ八方塞がりだったかが良く分かる。そして、終戦を決断させたのが原爆ではなくソ連参戦だった事も。
原爆によって終戦を迎えた…というのは冷戦下でアメリカによって植え付けられた見方。アメリカにとって原爆投下は、来るべきソ連との覇権争いに備えた牽制球であり、原爆で世界は平和になった、との考え方は原爆保有の正当性に使われ、核開発競争を加速させた。そこに被爆者の苦しみの入り込む余地が無い所が悲劇である。もちろん日本になら原爆を投下しても良いだろうという当時のアメリカの日本蔑視も含まれている。
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