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【あらすじ】明治初期、新政府は中央集権を進めるために、財政と軍備を藩から取り上げる廃藩置県を計画する。しかし全国に40万人いる武士とその士族の反発が巻き起こる。そこで新政府は維新後に隠居していた西郷隆盛を呼び寄せる。士族のカリスマである西郷の力で明治4年7月14日、廃藩置県の詔が発布される。
次に新政府は、財政を圧迫する武士の廃止と徴兵制の導入にとりかかる。軍務担当の山県有朋は、諸外国と渡り合うためには軍備の近代化が必要で、近代戦には武士が適さない事を述べ、西郷に武士の説得を頼んだ。
武士からは絶大な人気を誇り、西郷自身も武士を滅ぼす事には反対だったが、国家のために西郷は徴兵制導入を果たす。明治5年11月28日徴兵の詔発布。
【感想】○
武士の心情や状況などに最も理解があり、彼らからも慕われている西郷隆盛が、彼らを滅ぼす役回りを演じる事になった歴史の皮肉。
刀だけ持って何もせず財政を食いつぶしていた武士を廃止したい新政府の方針は理解できるが、徳川を倒し明治維新を実現した薩摩藩などの武士にとっては、自分達抜きでは明治新政府は樹立しなかったのに、新政府によって武士が廃止されると聞けば黙っていられないだろう。
こうした事情を一番知っているのが薩摩藩の西郷で、だからこそ彼が矢面に立って説得役になったのだ。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」だが、西郷の力が絶大であった面もあるだろうし、実際に武士が必要ない世の中へと変わっていた事もあるだろう。刀を持ち個人の戦闘能力は高い武士でも、組織立って近代兵器を扱う農民上がりの徴兵の方が強いと聞くとサムライも哀れだ。
そしてまた、それが実証されるのも西郷が担ぎ出された西南戦争なのだから。西郷はそれを証明して見せるために、負けを承知で西南戦争を戦い抜いたのだろうか。その辺りの事は次週に続く。
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