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【あらすじ】「小木紹介センター」の所長:矢作。業務内容は小木を紹介する事。所員:荒川と宮田(りょう)は謎に満ちた小木を紹介しきれない。紹介される客も全く分からない。こんな訳の分からない会社のPRビデオ制作を依頼される日村と設楽。
「私達は毎日数百の人と擦れ違ってる。ここにいる小木と擦れ違ってる人も毎日数百人いるんです。私達はそこに目を付けた。擦れ違うだけの人に小木を紹介する事を」
取りあえず調子を合わせる設楽の、小木に関する推理が的中しまくり、日村はますます付いていけなくなる。所員に採用される設楽。日村は心の病気が再発。
「俺だって自分の事を分かってもらいたいよ!誰かに紹介してもらいたいよ!」
小木だけでなく日村も紹介し、業務拡大を打ち出す所長:矢作。
【感想】◎
再放送だから観るのは2回目なのだが、ますますこの話の奥深さに唸ってしまう。毎日擦れ違う人は沢山いるのに、自分の知ってる人は全くいない現代。素性も分からないのに、同じ電車に乗り、同じエレベーターに乗り、時間と空間を共有していながら、何の出会いも無く過ぎていく毎日。
もしそこに、小木を紹介してくれる会社があったら…。この紹介センターの目の付け所は一瞬だがハッとさせられる。馬鹿馬鹿しいでは済まされない何かがあるようにも思えて来る。
小木だけでなく、もしも擦れ違う全ての人の素性が分かるようになったら、都会は都会ではなくなるのだろうか。膨大な情報になる事が分かっているからこそ、知りたくもないと思っているだけなのだろうか。これが他者への無関心なのだろうか。
逆に、自分は他人を知らないのに、皆は自分を知っている立場とはどういうものだろうか。「自分の事を分かってもらいたいよ!」との日村の心の叫びが行き着く先は芸能人や有名人である。
そんな立場になる手っ取り早い手段がテレビである。しかしテレビが本当の自分だけを伝えて、観る側も本当の自分だけを受け取ってくれるとは限らない。カメラの前で本当の自分を出せるか、本当の自分だけを流してくれるのか、誤った認識が広がるのではないか、俳優として演技でテレビに出た場合はどうなるのか。
「自分」は自分の中にあるが、それを他者に伝える・他者に伝わると「自分」ではなくなる。自分を分かってもらうのは不可能なのでは?同様に、他者を理解するのも不可能なのでは?
だからといって、自分以外の世界に関わりを持たず、他者を理解しようとしない姿勢では社会は成り立たない。少数の知り合いしか持たない我々は、無数の擦れ違うだけの人がいる事も知っている。無数の中の誰かがある日知り合いになるかもしれない。それが小木だとしても何ら不思議はないのだ。
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